最高裁判所第三小法廷 昭和63年(あ)38号 決定 1988年4月22日
本籍・住居
京都市伏見区桃山町下野三〇番地の一
無職
大西勝則
昭和一〇年一二月二二日生
右の者に対する相続税法違反被告事件について、昭和六二年一二月四日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を破棄する。
理由
弁護人山本浩三の上告趣意のうち、憲法一三条、一四条違反をいう点は、記録によれば、被告人が司法書士であることをもって直ちに不利益な差別的処遇をしたものでなく、また、検察官のした本件公訴提起が差別的意図に基づくものでないことが明らかであるから、所論は前提を欠き、その余は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己)
昭和六三年(あ)第三八号
○上告趣意書
被告人 大西勝則
右の者に対する相続税法違反被告事件について、弁護人の上告趣意は次のとおりである。なお上告理由は左記に述べる。
第一点 原判決は、憲法第一三条、第一四条に違反する。
第二点 原判決は刑の量定が不当である。
よって原判決は破棄されるべきものと考える。
昭和六三年二月二五日
右被告人弁護人
弁護士 山本浩三
最高裁判所
第三小法廷 御中
第一点 原判決は、憲法第一四条に違反する。
原判決は本事件が日本国内に現存している社会的差別の解消のための運動の一環として行われたという事実を無視し、単に相続税法違反事件として審理し判決した点に重大な誤りがある。
被告人は同和事業は国民的課題として協力しなければならないとの認識の下に、昭和五八年部落解放同盟改進支部に加入し、司法書士として登記業務、法律相談等で解放運動に実践してきたものである(第一審第七回公判被告人供述調書三丁、四丁)。
被告人は国が同和対策を行い社会的不平等を無くするために努力していることを評価するものであり、そのための同和対策立法、同和行政が行われていることを知悉するものである。
同和行政の一環として税務機関が被差別者あるいは被差別地域の居住者に対して特別の措置を行っていることは周知の事実であり、そのことは本件第一審第四回公判における証人安藤総務課長の証言あるいは原審第一回、第二回公判における木村美代志証人の証言、原審における検察官提出の糸田武久証人の公判調書よりみても明らかである。
このような税務当局による同和団体に対する特別措置は昭和四五年二月一〇日の国税庁長官の国税局長宛の通達の第二項「同和地区納税者に対して、今後とも実情に則した課税を行うよう配慮すること」に則したものであった。
同じ精神の下に昭和四三年一月三〇日以降大阪国税局長と解同中央本部及び大企連との確認事項なるものがあり、これに基いて解放同盟関係者の納税について税務当局により特別に考慮されていた。しかしこの確認事項は参議院の昭和六一年四月二四日の「補助金等に関する特別委員会」において共産党所属議員佐藤昭夫の質問に対し、政府委員塚越則男はその存在じたいを否認し、「かって大阪国税局において要望等を聞く機会が持たれた際に、同和関係者の要望事項を先方で取りまとめたものはあるというふうに聞いております」というように答弁されている(第二六部補助金等に関する特別委員会会議録第六号六頁)。しかしながら解放同盟関係者に対する特別措置は現在もなお続けられているものと考えられる。そのことは原審第一回公判において木村証人が税法違反について違法の意識がなくつぎのように証言していることからも推測される。「法律はありますけどね。同対審答申に基いて諸策がやられているんです。だから国税局との交渉のときも特別控除の法律を作ってくださいと、それができるまでの暫定措置として、同和対策としてこれをやりましょうという確認になっているわけですから、私は脱税とか違法行為をしているという意識はありません」と木村美代志解放同盟京都府連清井町支部長は証言している。
昭和六〇年から昭和六一年にかけて同和関係者の相続税法・所得税法違反事件が多数告発され起訴されたのであるが、奇妙なことには解放同盟が関与したものはほとんど起訴されず、全日本同和会あるいは全国同和対策促進協議会などの団体の関与したものが起訴されているのである。解放同盟が同種の行為を行っていたであろうことは前述の確認事項なものが部落解放京都府企業連合会総会議案書の中に印刷されていた事実によっても推測されるものである。
原判決は「本件が多分に同和団体に対する税務署の寛容な態度に起因しているとみ得る」とのべているが、これは事実認識を誤るものであって、税務署は同和行政として同和地域の被差別者の実情に則し、その社会的不平等が経済的貧困に由来するものであることを認識し、被差別者に対し特別配慮したものであって、たんに寛容な態度と評されるには余りにも意図的であり、政策的であり、現実的であり、憲法の精神にそったものであったということができる。
前述の国税局長官の通達といい、前述の各証人の証言にもみられる特別措置といい、すべて同和対策の一つとして行われているものであり、そのことはたとえば日本医師会の要請により医師に対し、特別の控除が行われたこともあるが、これは日本の医療政策を納税の面で考慮したものであり、同和対策を納税の面で配慮することはなんら違法の問題を生じないものである。
ところが本件においては関与した機関が部落解放同盟ではなく全国同和対策促進協議会であった点に被告人の不幸があったといわなければならない。
不思議な現象であるが、昭和六〇年から多くの同和団体の税法違反事件が告発されるようになり、マスコミは「えせ同和団体」なる言葉を使用することになった。そして本件事件に関与した団体も「えせ同和団体」として厳しい処分を受けたわけである。
被告人は本件において松井宏次と星野治郎の依頼を受け納税の申告を全国同和対策促進協議会京都府連合会(以下協議会と略す)本部会長笠原正継を通じて行っているのであるが、笠原正継が日頃同和運動のために実践していたことに地元においては周知であるにも拘らず、これをえせ同和団体とみなされその関係者が起訴され処罰されているのである。しかるに同じ時期に同じ地域で同じ行為を行っていたとみられる解放同盟関係の納税申告については刑事罰が科せられず、修正申告という行政手続によって処理されているのである。そして被告人は松井と星野の納税申告にあたり、前述の協議会を選択することも解放同盟を選択することも自由であったのであるが、偶然に笠原に依頼したわけである。もし被告人が解放同盟に依頼していれば起訴されることもなく又厳しい刑罰を受けることもなかったわけである。しかるに被告人の意識においては笠原の協議会も解放同盟も同じく被差別部落民の解放を目的とする正しい同和団体と考えられていたのであって、一方が正当な団体、地方がえせ団体という峻別の論理は被告人にはなかったのである。たしかに解放同盟は長い歴史と強力な組織力をもち日本社会党を背景にもつその政治的影響力は無視できないが、一方協議会も中央の有力な政治家と直結し、行政当局においてはその存在が認知されていたものである。
にもかかわらず、納税申告における解放同盟関与者はこれを起訴せず、協議会関与者を処罰するのは団体の大小によってその取扱いを別にするものであり、明白な差別行為である。このように被告人は協議会関与者として、政治的関係において処罰されたものであり、原判決は憲法一四条一項に違反する判決である。
つぎに第一審判決においては被告人が司法書士であることによって刑の量定が重くなっている文言がある。すなわちその判決文には「ことに被告人は日頃司法書士として社会的に信用のある職務をなしながら、あえてその立場を利用して本件に及んだことをみると、その責任は強く非難されるべきものといわねばならない」という。又原審判決の中にも「司法書士をしていた被告人が」とあたかも被告人が司法書士であったことが、量刑の重要な要素であったように読みとれる部分がある。しかし司法書士の主たる業務は登記・供託業務であり、税務代理は税理士の業務である。
被告人が登記業務に違法行為を行ったのであれば司法書士であることによる厳罰もこれを承服することができるのであるが、業務外の租税申告において違法行為があることによって一般の国民よりも厳しく科刑されるということは、司法書士という社会的身分によって政治的関係において差別するものであって原判決は憲法一四条一項に違反するものである。
つぎに原判決は、憲法一三条に違反する。
被告人は部落解放同盟等の要求もあり、前述のように国税庁長官の通達もあり、確認事項なるものも存在するので、同和団体の関与した納税申告については特別の控除ないしは裁量があるものと確信していたのである。そして税務官署も十数年にわたって同和団体に対し特別の取扱いをして来たのである。
被告人は税務官署の長年にわたる特別の取扱いを同和行政の一環として理解し、これに関与したものである。ところが突然に起訴され厳罰に処せられることになったものである。被告人にとっては税務官署の長年の慣行を信じていたところが急に逮捕、起訴、裁判となりまさに仰天した次第である。もしもこのような行政慣行を突然に変更する場合には、その変更を周知させるような手段を予め講じるか又は当事者に対し通告する手段をとるべきである。すなわち被告人らに対しては修正申告を行うように勧告しもし被告人らがそれに応じない場合においてはじめて違法行為としてその刑事責任を追及すべきものである。
被告人はマスコミにより、谷川宏元東京国税局長のいわゆる四億円にわたる脱税指南行為について逮捕も起訴もないことを知り、自分の受けた処遇との差異について深い違和感をもつものである。又本年元大蔵事務次官として税法の専門家であり、現職の衆議院議員の相沢英之が二億円もの多額の申告漏れを指摘され、修正申告をしたという事実が報道されている。申告漏れとははっきりいって所得税法違反である。
このように高位高官の税法違反に対しては刑事手続によらずに行政手続の修正申告で決着し、被告人のように行政慣行を信じていたものに突然刑事罰が科せられることに対し被告人は不合理、不平等感をつよくいだくものである。
このように被告人らの税法違反行為の告発は、同和運動に対する強圧の一環として行われたものであり、被告人は一種の「おとり捜査」の意識を強くいだいているものである。以上のように行政慣行において長年放置し、又現在でも高位者に対して刑事手続もとられない行為について、被告人に厳罰を科した原判決は、被告人の人間としての尊厳を侵害するものであり、憲法十三条の「すべて国民は、個人として尊重される」の規定に違反し、憲法違反である。
よって原判決憲法一四条、憲法一三条に違反し、刑事訴訟法四〇五条、四一〇条により破棄されるべきものと考える。
第二点 原判決は刑の量定が不当である。
被告人に対する刑罰は懲役一年四月及び罰金七〇〇万円である。原審はこれをそのまま認めている。
被告人には前科がなく、社会人としてその善良な性格によって相当に評価を受けまた司法書士としては法務局の中でも評判の良かったことを原審の第一回公判で元法務局職員の野沢猛はつぎのように証言している(同人の尋問調書)。「被告人は司法書士として品位を保持し、法律にも精通し、審議にのっとって行動していましたので、評判は良かったです」。また被告人がいかに国民間の社会的差別の撤廃、同和事業のために努力してきたかは、元京都府商工会連合会の同和経営指導員であった西田慶蔵の原審第一回公判におけるつぎの証言にも明らかである。「被告人は人権確立、差別排除のために協力すると、報酬は受け取りませんでした」(同人の証人尋問調書)。
被告人には妻千恵子と長男勝己、長女ミサ子がいるが、被告人の今回の裁判により甚大な精神的打撃を被っている。被告人が原審判決によって実刑に服することになると、家族の苦悩はまさに筆舌につくしがたいものがある。
被告人は第一審判決後は司法書士を廃業し、家計は行政書士としての妻の働きに依存している。しかしながら社会内における被告人の存在が妻の精神的支柱になっている。被告人が収監されることになれば、妻による生計の維持さえも危ぶまれるものである。
被告人は本件において笠原から預かった金員、すなわち松井の件につき二千五百万円、星野の件につき二千万円を預り、さらに更正決定に対応するために松井から五千万円、星野から四千万円を預っていたが、右金員はすべて返還している(弁甲二号証、弁甲三号証)。右金員の利息は相手方がこれを請求しなかったので、被告人は金一〇〇万円を贖罪寄付(弁甲七号証)している。被告人はこのように本件犯行から得た利益をすべて返済している。本件類似の税法違反事件において依頼者に対する返金が十全に行われていないのにも拘らず執行猶予が付けられている者がいるが、被告人は過ちを認め誠実に被害金額を返金しているのである。そして本件犯行が新聞紙上報道されるや登記事務等の依頼客は激減し、さらに司法書士を廃業するや収入の途は完全にとざえてしまったのである。このように被告人は国家による科刑の制裁以前に社会的制裁を受けているのである。
被告人の犯行は法的には国家の課税権に対する侵害であり、重大なる犯罪であるといわねばならず、被告人が刑罰を受けることは当然であるともいえる。しかしながら被告人は税務官署の長年の取扱いを行政慣行と信じて行為したものであって、後になって司法機関により税務当局の同和団体に対する対応を厳しく批判され、その意外性に驚いているわけである。しかし被告人は今までに前科がないと同様に今後も絶対に犯罪を行わないことは、その性格その行状からみても断言できるものである。
国家は犯罪者を厳格に処罰することだけでは十分でなく、犯罪者の行為の特性、性質、人権、社会的貢献度、再犯の可能性等十二分にしんしゃくして刑罰を決定すべきである。そのような立場から見ると被告人に対する実刑判決は余りにも厳しい判断であるといわねばならず、被告人のすでに受けた社会的制裁、精神的打撃から見れば、被告人に対し社会内処遇を行っても軽きに失するということは無いといえる。
よって被告人に対し執行猶予を付けなかった原審判決は刑の量定を誤り、被告人に対し余りにも過酷であり不当であって、刑事訴訟法四一一条により破棄を免れないものであると考える。
以上の上告趣意を審理するための弁論の機会を与えられんことを、強く要望するものである。
なお右上告趣意書の主張を詳細に説明するための上告趣意補充書を速やかに作成し、提出する。
以上
昭和六三年(あ)第三八号
○上告趣意書補充書
被告人 大西勝則
右の者に対する相続税法違反被告事件について、弁護人は次のとおり上告趣意書の補充書を提出する。
昭和六三年三月三一日
右被告人弁護人
弁護士 山本浩三
最高裁判所
第三小法廷 御中
一、「おとり捜査」の主張について
上告趣意書において、弁護人は上告人が「おとり捜査」の被害者の意識をもっていることを指摘した。この事を詳述する。
おとり捜査の最近の有名な事例は、アメリカ合衆国のハワイ州における暴力団山口組の組員の麻薬等密輸事件である。この事件は賠審員の評決によって無罪となったものであるが、この捜査過程でアメリカの捜査官が日本国で当該事件の被告人を捜査したという事が報じられており、日本国政府がこれに協力していた事実はアメリカによる主権侵害を認容するものであるとの新聞記事が出たこともある。いずれにしても「おとり捜査」が憲法一三条の個人の人格権を侵害するものであることはいうまでもない。右山口組組員事件において日本政府がアメリカ官憲の「おとり捜査」を黙認したという事実が、上告人の税務官署による「おとり捜査」を可能にした精神的基盤があったことを証明するものであると上告人は主張する。
本件の相続税法違反事件は、国税庁、検察庁が同和問題を行政として解決するという意識があり、同和団体に対し同和対策審議会答申(昭和四〇年八月一一日)を尊重して施策実現する熱意があれば起りえなかったものである。上告人は税務官署の同和問題に対する発言あるいは対応の態度を善意に理解し、本件の一連の行為を行って来たものであるが、突然これらの行為の犯罪性を指弾され、有罪判決を宣告されたことにより行政に裏切られた印象をもつものである。
すなわち昭和四九年頃、上告人は部落解放京都府企業連合会(以下「京企連」という)の成立発足にあたり京企連の一員として参加し、京企連の代表者と出席者の大阪国税局同和対策室長、京都の関係税務署長、総務課長等との間で、昭和四三年の大阪国税局長と解放同盟中央本部及び大企連七項目の確認事項の再確認が行われ、右確認事項に基づいて「税務対策を行う」という確認が行われたことを目撃しているものである。その席上で東京国税局より転任して来た某署長は「自分は同和問題のよき解決者又は理解者として献身的に同対審答申に則り行動すると言明し、同和問題の解決は同和地域の経済上の立遅れの解決なしでは不可能であるといい、そのためには同和関係者の税務特別対策こそが必要でありまさにそれが国是でもある」といったのを上告人は記憶している。しかもその署長はこの措置はひとり部落解放同盟に対してのみならず、すべての同和関係者、同和団体にも及ばねばならない」といったことも記憶している。右のような事実を前提として上告人は善意で同和問題の解決に役立つものとして本件行為を行ったものである。
上告人は本件事件の行為を税法違反の行為として狭く理解せず、巨視的に同和対策の一環とし、歴史的理由に基づく不合理な差別撤廃の運動の一行動形態として把握されることを最高裁判所に強く要望するものである。
二、不平等の主張について
上告人はその関与した全国同和対策促進協議会と大組織である部落解放同盟との間に取扱いの差別があり、部落解放同盟関係者が税法違反で起訴された事実の余りにも僅少なることを奇異に感じ、憲法一四条違反を主張するものである。協議会に関係した者が有罪となり、解放同盟に関係した者が起訴もされず、修正申告で終っているということは余りにも不平等であり、団体の大小に基づく差別的取扱いであり、憲法一四条違反であると上告人は主張するものである。
右の不平等を立証するものとして解放同盟が代理で行った税務申告書を各税務署において保管されているのであるが、上告人はこれを手続上証拠として提出できないことを遺憾に思うものである。
御庁において右申告書等を職権により捜査されん事を要望するものである。
以上